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官能小説家、深志美由紀ブログ

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悪い娘はどこでもいける

先日、夫が食器をさげないので喧嘩をしました。

「自分の食器は自分で下げろ」と言えば言うほどムっとして下げないうえに「一緒に下げてくれたっていいじゃないか」と拗ねるのでこちらも負けずにガンとして怒っていたら次の日から下げてくれるようになった。


「君だって朝まで食器を洗わないじゃないか、ぼくはたまに食器を洗ってる」

「それはありがたいけど、全部を私がやるのが当然だと思い込んでるからたまに手伝うと『やってやった』って気持ちになるんでしょ! 間違ってるぞ!」

「君はぼくの奥さんでしょ!?」

「だから何だ、関係ないでしょうが!」



夫はいまどきの若者にしては珍しい肉食系で男尊女卑(というか母親を始めとする女に甘やかされてきたゆえの女性軽視と言うか)の根付いた男なんだけども、まあ、諦めずに根気よく怒れば分かってくれないこともないみたい。

実にくだらない喧嘩ではありますが、他人と一緒に暮らすというのはこんなささいなことのすり合わせだったりしますよね。


ところでここで注目すべきは「君はぼくの奥さんでしょ」というセリフ。嘘みたいだけど、マジで彼はこれを言う、たまに。

でもこの「君はぼくの奥さんでしょ」って、多分、最近の男性は「口に出すべきじゃない」ってうっすら分かってるから表立って主張はしないだけで結構皆内心は思ってるんじゃないかなーって思うのよね。

いや、もちろん専業主婦だったら基本的には私がするべきだと思うけどね?

我が家では大体収入比が2.5:1くらいだから家事も2.5:1にするべきだと思うのよ。確かに私は掃除洗い物なんかちょっとだらしないけど、これでも毎日欠かさず炊事してんの(経済的に致し方なく)、サービスしてる方だぜ。


で、私は常々夫から「君のように怒る女は見たことがない」と言われます。

そう言えばよく怒るな、よくないかなと一瞬反省しかけたのですが、なんか、私だって確か高校生くらいまではそんなことなかったのよねー。

ラブホテルで彼氏が寝てる間に彼の脱ぎ散らかした服を畳むような女だったのだ、私は。

ナニがきっかけでこうなったんだったかしらと考えつつ、昨夜、偶然にも本棚から懐かしい本を見つけ出してしまいました。

その名も「誰からも好かれようとする女たち 」。


ドイツの心理学者ウーテ・エーアハルトさんのベストセラーで、まさにこれってたぶん私の人生を変えた本かも! という一冊。いやおそらく当時世界中の多くの女性を変えたんだろうなあ。

内容はと言うとちょっと自己啓発っぽくはあるのですが、女性が「良い娘になって誰からも愛されようとする」心理がいかに自由の枷であるかということを例をとってひとつひとつ丁寧に説明してくれるもの。

ちなみにこれ、幼い頃の親の教えとはもう100%反対の内容です。


それこそ食器の上げ下げひとつから例をとって「決して退くな!」と教えてくれる本なのね。




冒頭にこんな記述があります。

「(前略)今日、もやは女性は従順でいようなどとは思ってはいない。彼女たちの認識は変わってきているはずだ。けれどもこういう「新しい女」、キャリアを目指し、主体的に生きようとする女たちといえどもいまなお矛盾を抱えている。(中略)

自己主張はしたい。でも人を傷つけるのはいや。目指すものを手に入れたい。でも他人を踏みつけにはしたくない。批判精神を失いたくない。だけど、他人をけなすのは気が引ける。人を説得したい。でも自分の意のままに動かすなんて。自信を持ちたい。でも、こわがられたらどうしよう……」


本編に書かれているのは女性の権利が確立された中でも根強く残っている「良い娘、良い女」という価値観を根底からくつがえそうということです。

「素直で優しく、従順。譲歩をいやがらず、謙虚で寛大」でいるのが「良い娘」、そうじゃないのは「わがままで生意気な娘」だというその認識こそ間違っているのだという内容。生意気だと罵られてもいいじゃないか、全ての人に愛される必要はない! っていうのね。

ちなみに原題を訳すと「いい娘は天国へいける、でも悪い娘は生きているうちにどこへでもいける」。


ぜひ読んでいただきたいので内容を詳しくは書きませんが、もーほんと目からウロコなんですよー。

この本が出版されたのは1995年で、今から15年も前ですから若干時代を感じる部分もあるし、「この頃と比べると今では随分世間の価値観も変わったなあ」っていう部分もいっぱいあるのですが、まだまだ、現代女性に通用するものがあると思います。

女性の皆さんのみならず、「なんか最近の女の子って扱いづらいな」と思っている男性諸氏もよかったらぜひご一読を。



またこの本には要約すると「軽やかに自由でいるためにはその分苦痛が伴うし、自立するにはそれに見合った責任も負わなければいけない」ということも書いてあります。
だって「誰からも愛される」ことを捨てるのだもの、そりゃ、覚悟が要るし辛いこともいっぱいあるのよ。

これは「大丈夫、自由にしてもあなたは愛されます」という内容では決してない。むしろ「孤独を恐れるな」という内容です。でもそんな自分でも愛してくれるという人と共に過ごすのが一番幸福なんじゃないかと私は思うんですけどもね。



可愛い娘でいて誰かに守られながら、鳥籠の幸福を享受するのか。

生意気な娘になって多くのものと戦いながら、自由を手に入れるのか。


どちらも強要できるものではないし、人それぞれの幸福があるよね。
ただ「そういう選択もあるのだ」っていうことは、知るべきだと思うのです。


上記のとおり私は夫とは物凄く衝突するんだけど(というか本音で話すと大抵の男性と衝突するのだが)、まあ、これも人生の業というやつなのかもしれない。

価値観の合わない相手でも愛がある限りはしょうがない、話し合わなきゃいけないもんな。それでお互い耐え切れないなら一緒にいることはないのだし、別に。

もちろん相手の言うことを頭から否定するばかりでもいけないんだけども。


実は逆に、我慢して何でも言うことをきいてくれる人と一緒だと私はあまり良い方向にいかないという経験もあって、もしかすると無意識に力一杯ぶつかれる相手を選んだのかなあ、とも思えるのでした。


人生は戦いだぜー。





↓小説を置いたりしている本館でございます、よかったら!


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