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CabaretM1

官能小説家、深志美由紀ブログ

2010年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年01月

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よいお年を

時間もないのでご挨拶だけ!


皆様よいお年をお過ごしください。

来年は小説マジで頑張ります。

何卒よろしくお願いしますー!

| ブログ | 22:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Savvy?

あ~~ブログ書く暇がない!

というかネタもない!


でも生きてます、深志ですどうも。



えーと今月は、仕事と執筆と家事(一応主婦だからな)と聖飢魔IIのミサに行くことしかしていません。

ミサはもう終わっちゃったけど。

執筆は冬コミのゲスト原稿なんかがあったけどそっちは終わりました。

あとは官能、これが自分でもいやになるくらい遅筆で参るんだけど、ちょっとずつなんとか搾り出しています。

とにかく空いてる時間が細切れだからなかなか集中できない。 でも一歩一歩進んではいるのでなんとかなるでしょう!


がんばるぞ。




あとねー

ここ一週間ぐらいの、もの凄い自分的ヒットが「パイレーツオブカリビアン」。

いや前から好きで2まではDVD買ってたんだけど、なんか来年新作やるって発表されたのでそのトレイラーを見たらジャックスパロウ愛が再燃して、3借りて来て観ました。

いやーヤバいねかっこいいねジョニーデップ。たまらん。3ちょっと分かりにくかったけど考察サイトとかみながら繰り返し観ちゃった。よかった!

あれはキースリチャードの出演部を入れたせいでちょっと分かりにくくなったと推測する(笑)。

でもかっこよかったジャックパパ。

ラストED後のシーンについても「さまよえるオランダ人」について調べてすっきりしました。これは「永遠の愛があれば呪いは解ける」という話が基盤になってるというわけで、あれはウィルの呪いが解けるかもという暗示なんだな!思ったよりハッピーエンドだった。

うん、見てない人には何のことだか全然判らない話ですいません。


とにかくジャックスパロウの色気が半端ないという話です。

既にジョニーデップじゃなくてジャック自体が好きになってきた。限りなく二次元コンプレックスに近い勢いで……

特に「1」ね!40歳ぐらいのデップ演じるジャックスパロウったらどうしようもない美しさ!

あれをセクシーと思わない女子がいるのだろうか!

もうぶっちゃけ物語とかどうでも良くてキャラ萌え。4は映画館で観たいです。

でも凄いよねー、演者が自分で役作りを考えたキャラクターがディズニーの公式キャラにまでなってしまうのだもの、やっぱジョニーデップって凄い役者さんだなー。

いまやディズニーをも越えて「海賊」のテンプレ的アイコンとして確立されてしまったもんね、ジャックスパロウ。

物書きとしてはああいう、魅力的なキャラクターを作り出すにはどうしたらいいか考えないと。


私は結構本気で物語の登場人物に擬人的愛を感じる人間なんですが、だからこそ、そういう、人に愛されるキャラというものが自分の手で作り出せたらどんなに素晴らしいだろうと思います。

愛されるというか、もちろんただのキャラ萌えじゃなくて、その中身までリアルに作り上げたい。読み手が彼の中身を想像してしまうような「人間」を描きたい。愛されるだけじゃなくて嫌われる憎まれる哀しまれる、読み手が感情移入して揺さぶられるようなものを自分の手で作りたい。

それは突き詰めると「私を愛して」っていうことなんだけれどもね。存在した証拠を残したい、なんていうのは子供っぽい自意識過剰な話だけども。でもそれがなかったら物は書かないかもしれない。

だからこういう、自分の感情を揺らされるものに出会うと物凄く憧れるとともに焦燥もします。

私も愛されたい!見てろよこんちきしょう。



ところでTDLの「カリブの海賊」は映画仕様になる前から大好きだったんですが、改装してからまだ一度も行っていないのです。

行きたいなー。つーかTDR自体もう十年くらい行ってないぞー。

行きたいなー。つーかまともなデート自体十年くらいしてないぞー。

でも遊園地は男とじゃなくて、女同士が楽しいよねっ。来年は行きたいなあ。




そう言えばそもそも私は海の町で生まれたせいか幼少の頃より海には半端ないロマンを感じておりまして、いつかクルージングしたいなーとずっと思っているのだった。

一回だけ高校の修学旅行で2泊くらい船旅したけどそんなに酔わなかったし(公立の修学旅行でクルージングって不思議だけど、なぜか私たちの学年の先生が突然はっちゃけてうちの学年だけ船旅になった。非常に不評だったらしく、それまでとそれ以降はずっと普通に北海道らしい……)。

将来の目標は世界一周豪華クルーズである。ものすんげー高いらしいね!






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師走

間が開いてしまいましたー!



ちょっと籠もって執筆などしております。

師走と言うだけあって仕事もなかなか忙しく、今月はあんまりブログ書けないかも……



一応生存確認と言うことで。

生きてるよ!




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着物がすき

着物が好きです。



ゆくゆくは日常常に着物を着て生活をしたい、と思っているくらい。

歳を取っておばあちゃんになったら、(洋服の方がそれはたぶん着るのはらくちんなんだけど)洋服よりも着物を着ていたほうがしゃんとして見えて素敵だと思いません?

なんでだろ、やっぱ日本人だからかしら。心の問題かしら。


そんなわけで、めざせ日常着物生活を公言しているわたしです。

しかしながら今のところ毎日時間に追われてなかなか実現出来ないのだった。パート先で制服に着替えるのに着物でいくわけにはいかないし。仕事から帰ってきたらくたくたなもんで部屋着を着物に、ともなかなかいかず、今は残念ながらお出掛けの時にしか着ることができないのでありました。頑張ろう。



ところで着物好きには大きく分けて2種類の人がいます。

きちんとした新品の着物が好きな人と、大正昭和などレトロな古着が好きな人とです。

洋服だっていろいろ好みがあるもんで、もちろん着物にだっていろいろ好みがあるわけですね。

ちなみに前者はわりと名のある高級な着物が好きで、自分の身体に合った寸法の着物を反物からお仕立てして(車が買えるくらいの値段のモノじゃないと買う意味がないと公言する人もいる)、着付けも補正を入れてきっちりする人が多いです。いつでも晴れ着、というタイプ。

後者はとにかく安価でも柄にこだわったり、時代にこだわったり、個性的な着こなしを好んだりする人が多いです。


私はどちらかと言うと、後者。

もちろんお金があったら良い反物から贅沢にお仕立てして、という夢もありますが、それじゃあ何着もはとても持てないじゃない?

しかも、なんというか、いつでも晴れ着、ってちょっと私の理想とする着物生活からは遠いような気がするんだなー。


大体大手の着付け教室に行くと、着物はちゃんと寸法の合ったものを仕立てないといけないって言われるみたいなんですよね。

それってでもちょっとおかしいというか、まあ今着物を作ってらっしゃる職人さんたちとの兼ね合いもあって致し方ない部分はあると思うんですが、ちょっと、商業戦略的なものを感じます。


ほんらい着物っていうのは、日本人が日常的に着ていたものでしょ。

着付け方なんかも親から子へ自然に伝わっていくものだったわけでしょ。

それが、「教室に通わないと着られない、高級な着物じゃないといけない」っておかしいと思う。

昔は正絹の着物なんか滅多に着なかったわけで。現代では皆が皆お姫さまみたいなものですねー。



着付けを誰かに教わるというのは、今の世の中自然と覚えるものじゃないので、教室に行くのももちろん良いと思うんですよ!私もできたら行きたい。着崩れないコツとかプロならではっていうのもあるだろうし。

でも、「こうじゃなきゃいけない」って、「晴れ着」のルールで普段から口煩く注意するのはちょっと違うような気がする。というのは着物を着る人なら思い当たることがあると思うんですが、いわゆる前者のタイプの「着物好き」の中にはうるさがたのおばさまなんかが沢山いらして、外で誰かが着物を着ているのを見つけようものなら「あなたここが違うわ、おかしいわ」といちいちチェックを入れられたりするのです。困ったもんだ。


でもねー。

昔の、それこそ大正、昭和初期あたりの写真なんかを見てみると、みんなほんとに自由に着物を着てるんですよー。

おはしょりもこもこ、お太鼓なんかひん曲がってたりして、しかも一枚の着物を大事に大事に着まわすから袖丈なんてまちまちです。当たり前なんですよ、だって、掃除したり買い物したり走ったり風呂沸かしたり勉強したり、毎日いろんな場面で常に着てるんだもの。しゃなりしゃなりと晴れ着を着てお上品にすましているばかりではないのです。

そう考えると、いわゆる今現在の「着物のルール」って、「日常着物を着なくなってから」出来たものなんだなーってつくづく思う。どこの誰が広めたものかはわかりませんが、まあ、いろいろ事情があるのでしょう、きっと。

だから、それはできたらきれいに着られた方がすてきだなって思うけど、別に、ガチガチにルールに縛られなくてもいいんじゃないかって思うんですよね。


私は今のところ、親に教わったり、独学で本などを見てなんとかふつうに着るくらいはできるようになりました。「晴れ着」の着方ではないけれど、「普段着」くらいならこれで問題ないと思います。

「理想の着姿」っていうのがあるので、なるべくそれに近付きたいな。今思うと着物にはまりはじめた最初の頃のことは「あれはないわー」って思い出すこともありますが、最近ちょっとはましなんじゃないかと思います。

いつかは「晴れ着」も自分で着られるようになりたいなっと思うんですけども。


それから昔の着物は、かわいい。

ほぼ趣味でしか着物を着る人がいない現代と違って、日常全部の衣服が着物だった時代の着物は柄がすっごく自由で大胆です。

それがまたレトロ着物の楽しみでもあったりするんだなー!


まあ、前述の通り、新しいものをちゃんとした値段で買わないと職人さんがいなくなっちゃう懸念もあるんですけれどもね。もしも小説でそれなりに成功したら、ぜひとも現代の着物産業にも貢献したいと思います。でもそれ、天井がないんだよねー!w


ああ、考えてたら着物が欲しくなってきた。

隣の駅になかなか良いリサイクル着物のお店を見つけたので、今度ゆっくり行ってみようって思ったの、思い出したぞ!お給料でたら覗きに行こう。



ちなみに、日常を着物で生活しようと想像してみると、今のようなだらけた暮らしはとてもできないなあって思います。

昔の日本人はみんな、きちんとした丁寧な暮らしをしていたんだろうなあ。

昔を懐古してばかりではいけないと思いますが、ちょっと、振り返ってみるのもいいのかもしれません。








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覚悟のすすめ

「頑張る」っていうのは「イヤなことを我慢する」って意味じゃないって最近何かで見た!


まったくそのとおりだよね!目からウロコ。

楽しんでやってても努力したり頑張ったりしてることっていっぱいあって、で、そんな頑張りの方が絶対結果も伸びるのだー!



自分の味方は自分だけだから、せめて自分の好きな自分でいられるように努力しないとね。

自分が嫌いだって思ったら、嫌いだなってとこ小さいことでいいからいっこいっこ克服していくといいとおもう。

私は思春期自分が凄く嫌いだったけど、それこそ考え方とかそういうのを変えようと頑張って、ある程度は実ったと思います。


ちなみに一番困難だったのは「甘え」と戦うことだった。


分かりやすい話でいくと「女だから」っていう甘えとかね。

例えばよく言ってるけど、「男女平等、男と対等でいたい」と思ったらそれまで男に背負わせていた「責任」を自分で背負わないといけない。

簡単に言うと「養ってもらうのは当たり前」というようなところから。

私が一生働いたって良い。その代わりにちゃんと主夫をしてくれるなら、とか。「ヤラれちゃう女」についてもそうなんですが、とにかく、「男だから何よ」って言うためには「女だから」と享受していた甘えを捨てないといけない。相手にだけ捨てさせるなんて、そんな都合のいい話はないもの。


だから私は、結婚する相手が例えば職についていなくても全然良いのだ。

もちろん、怠けてるだけだったらダメだけどね。

私の人生は一生私が面倒見るんだもの。

「幸せにしてもらう」ために結婚なんかは、いたしません。その代わり自分だけ我慢もしない。夫婦としての負担はなんにせよ分け合うべきだし、それを求めます(それがまた「わがまま」と写るらしいですが)。



「甘え」と戦うのはほんと難しいよ。

私は本当にあまったれたガキだったから、意識の改革には根性が要りました。

まだ甘えてるところも結構あるとは思うんだけど、ひとまず、自分を振り返ることはできるようになった、と、思う。


いつでも厳しくいろってことではなくて、ストレス解消して自分を許すことももちろん必要なんですけどねー!



潔く生きていきたいじゃない。

私、自分を誇れるよう最大の努力をするわ。がんばるわ。




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