草食男子の憂鬱
さて、思い出したからにはなるべく毎日書こう。
そんなわけで自分のここ数日のツイッターからネタを拾って、今日は草食系男子の憂鬱について考えてみようと思います。
というのも、なんだ、半月くらい前のネットのニュースで、「いわゆる草食系といわれている、最近の若い男性はその半数がセックスに対して興味がない、どころか嫌悪感すら抱いている」というのがあったのです。
えー……
なんたる絶望的な統計結果!
マジかよ!
でもあながち間違っても居ない気がする。
というのは私がおばちゃんで、ここ十五年くらいは世の中の「若い男の子」を観てきているからだけれども。
ドラマなんかを見てても、やっぱり男の子の性質がちょっと変わってきたなーって思いますもん。
なんというか、全体に、清潔で淡白になった。
身奇麗で、物腰は柔らかく、性欲は薄くて我慢強い。女の子の解りやすい媚にも耐性が強く(多分疑い深いから)てなかなか騙されない。
あれっ、今気付いたけどこれは昔でいうといわゆる少女マンガの中にしか存在しなかったタイプなんじゃないか!?
昔はこんな子はあんまりいなかった。ゆえに神秘的というか、謎めいてるというか、女の子に興味がなさそうなところがウケてもてたと思うんだよね。
でも今はなんかみーんなそういうかんじで、プライドが高くて疑い深いのが逆に臆病さになってしまっているような気がします。
昔の男の子はなんというか、一般的に、もっと粗暴で横暴だった。
「男」に生まれたというだけで根拠のないムダな自信に満ち溢れ、「男なんだから」「男らしく」という洗礼のもとに限りない自己肯定が展開されていた。
男子は生まれた時から優遇されるし、働けば働くほどお金が入り、景気がよければなんか適当に働くだけでもお金が入り、金があったら自信がついて女の子にももてて、いっぱいセックスできればそれがまたそれだけの自信になって、「男」ということそのものに誇りをもっていたのだとおもう。
また女もそれを善しとしていたし、だから「男らしい」という言葉は大変に肯定的な意味合いを持つわけです。力強い、優しい、潔い、エトセトラ。
でも、時代は変わってしまった。
いまや世間は男女同権。
男だからってだけで威張ることができなくなっちゃったら、それと同時に、彼らはどうやら男である誇りと自信も失ってしまったようです。
ついでに就職難だし給料は少ないし、逆に男女平等だから辛い時にも男らしく歯を食いしばって頑張らなくても良いんだよって言われるからそれはまあ楽で、デートもワリカンで当然だと思うし、結婚するにも共働き全然歓迎だけど、
そしたらなんだかどうにも格好がつかない。
っていう、結局はそういうことなんじゃないかなって思うわけです。
偉そうに威張るだけが男らしさじゃないだろうって思うんだけども、まあ、立ててあげないと勃たないのが男の常というわけで、こうなってくるとセックスアピールもゼロっつーか、もう、どうしたらいいのか解らんのだと思うんだよね。
勘違いしてセクハラしてると思われたら困っちゃうから、なんか気になる女の子を食事にも誘いにくいし。みたいな。
そもそも今の子はセックスに興味がないというよりも、どうやってセックスに至ればいいのか解らんのじゃないかしら。
セックスするまでには女の子と仲良くなったりデートに誘ったりしないといけないわけでしょう。
多分今の男の子は、恋愛におけるそのほとんどの主導権を女の子に譲っているんだと思う。ちょっと交流してみて、女の子がもしもその気だったらわかりやすいカマをかけてくれるという、それをひたすら待つと言う。多分プライドが高いから失敗するのが怖いって言うのもあると思う。
いわゆる林檎でいうところの「興味が湧いたって据え膳の完成を待ってなんとも思わない振りで笑う」というやつで、これはこれでまあ成り立てばかっこいいんだけど、これ、悪いけどもともと格好良い男の子にしか有り得ないことだからさ!
ふっつーの、特に冴えない、大して見栄えのしない男の子からしてみたら、勝手に据え膳が完成するなどというのは待てど暮らせど起こり得ない状況なわけだ。だってそれはつまり、「相手から好きになってくれるのを待つ」っていうことだからね。なんのアピールもしないでそのままの自分を勝手に好きになってくれる女の子なんてなあ滅多にいねーんだわよ。
そうすると自然、結果として草食系になるしかないよなあ。
自然に好きになってくれる相手がいないんだったら、「もともとぼく、そういうの興味ないですし」って言うしかないもんね。傷付くの怖いしね。嫌悪感も抱こうというものです。だって、欲しいのに手に入らないって思われたら不愉快だし。嫌いだから欲しくないよ!って言っておけば、あんしん。
あっちょっと意地悪な視線になってしまった。草食系男子のみなさんごめんなさい。笑。
昔の男の子は強引だったから、不細工でもいけてなくても貧乏でも、自分から女の子を誘っていた。なんたって男であるだけで偉いので「女なんか強引に押し切ればそのうち落ちる」と思っていたし、さらには失敗しても「俺様の誘いを断るとは女のクセに生意気だ」という論点のすり替えで、プライドを失わずに済んだわけよ。
いやあ今思うと実に腹立たしい話なんだけども、でも実際、そういう強引な男がもてたのも確か。
まあそこまで俺様じゃなくっても、やっぱり「男らしい」のが最上とされていたので、気になる女が居たら自分から押していかないといかん、という風潮だったわけです。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるので、肉食で居ればそのうちセックスはできた。女の子もそうやって誘われるのが嬉しかったりしたわけで。より「誘われる女の子」になろうと、女らしくしおらしくしていたと思うのよね。酌はするわ食べ物は取り分けるわ特技は料理と裁縫だわ。ちっ、くだらねえ。
しかしながら実際腑に落ちないしくだらねえんだけど、「男らしい」「女らしい」というのは言葉尻で考えると実に不平等というか差別的な響きを含んではいるんだけど、結局セックスアピールという点では性差は切っても切り離せないものなんじゃないかなあ。セックスの面で言えば男らしい男が女は好きであるし、女らしい女が男は好きであるのだ、たぶん。まあ料理と裁縫とかはセックスには関係ないからどうでもいいんだけども。内面的というか、外見上の話ね!
というわけでやっぱり、昨今の男の子が性的に元気がないのは、フェミニズムと性的魅力の葛藤を乗り越えることができないからなのではないか、と、おばちゃんかように思う次第でありました。
まあこの文章を読んでもらっても解ると思うんだけど、私、マジで「男」というだけでお偉いつもりの阿呆は嫌いなのよ。というかむしろぶっちゃけ男そのものを嫌いなんじゃないかと言うふしもあり、ちょっと行き過ぎたフェミニストである自覚もある。
だけどそれでもやっぱし、多少、男の子には男らしく(言葉の字面の問題でなく、日本語としての意味合いでね)あっていただきたいという気持ちがあるわけです。というか、そうじゃないとつまらんなとは思っている。とか言う女側の欲求がまたワガママっつーか、じゃあどうしたらいいんだよってことだとは思うんだけど。笑。
なんか良いすり合わせはないかしら!
ちなみに女の子は今でも元気です。というか今の若い女の子は昔よりもますます自信を持って、健康的で性的な魅力に溢れていると思う。
いわゆる言葉の意味で「女らしい」かというとちょっと違うけれど、彼女たちは強くて美しい。
男の子も「強くて美しい」って感じに、なってくれるといいね。
↓小説を置いたりしている本館でございます、よかったら!
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