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CabaretM1

官能小説家、深志美由紀ブログ

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ストリップショウ

室井佑月さんの小説が好きです。


初めて読んだ室井さんの小説は「熱帯植物園」で、ああなんて「分かってる」んだろうと思いました。女の自意識の傷口に塩を塗るような作品で、鮮烈だった。

そもそも私が小説家を目指すきっかけになったのはたぶんこの「熱帯植物園」と山本文緒さんの「眠れるラプンツェル」で、作品として影響を受けたのは室井さんの方だと思う。

少女の残酷さや女の業が繊細に荒々しく描かれていて、ああ私も、小説を書くのならこんなふうに「女の業」を描きたいなと思わされた一冊でした。

お二人の小説に共通するのは登場人物が「きれいごとを言わない」という点で、特に「女」の内心をこんなふうに言っちゃう人はいなかったように思います(私が勉強不足なだけかもしれませんが)。

「あたしイヤなヤツだけどそれがどうしたの」という、または「だけどいい人に思われたいのよ」というそのすべてをつまびらかにされてしまう。でもだって皆、そうなはずだ。

少なくともそういう女は多いはずだもん。


「人の内面を飾らずに書く」という手法があることを私に教えてくれたのが私にとっての室井さんや山本さんなのでした。これとは逆に、読む人が惹かれるように飾りながら真実に迫る手法もあるのだけど、そちらは装飾のセンスがないと難しい。私はオシャレでもなくセンスのない女だから、せめて、全てを脱ぐ方向でいこうと思ったわけです。

創作と言うのはストリップだ、と2002年の自分の日記に書いてありました。当時から考えてることは変わらない。創作と言うのはオナニーショウだ、というのはタモリさんが仰った言葉だそうですが(他の方も言っているかもしれない)、それもそのはず、オナニーだって他人の目を気にして喜ばせるつもりがないと「ショウ」にはならないのです。


脱ぐからにはだらけきった肢体をただ晒してもお話になりません。もともとすばらしいスタイルの美人ならば良いけれど残念ながら私はそうではないので、できる限り、見てくれる人に喜んでもらえるように鍛えなくっちゃいけない。いやもしくはその脂肪の付ききった醜い姿をかっこつけず露悪的に包み隠さず晒すか、それもまたもしかしたらゲテモノ好きの人には喜んでもらえるかもしれないし。


とにかく、「見せる」からには商品価値を自分で考えなくっちゃいけないわけです。

脱ぎ方、踊り方、曝け出し方だって工夫しないと喜んでもらえない。自分がただ裸になって喜んで貰えるタイプじゃないことを若い頃は恨んだりもしたものですが、それはそれ、花電車でも鍛えればいいのだ。



あなたが興奮してくれるように、面白がってくれるように、鍛えて脱ぐから、あたしを見てね。


これが私にとっての創作だなあ、と思います。





さて室井さんというともうちょっと突っ込んで話したい内容があったのですが、創作の方向に話が進んでしまったので今日はいったん締めて、そっちはまた後日。



みんな、頑張って脱ぐから、あたしを見てね。





↓小説を置いたりしている本館でございます、よかったら!


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