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官能小説家、深志美由紀ブログ
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| もばいる | 09:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
ああ、それにしてもお金がない。
先月は地震やら停電やらで結構、昼間の仕事が休みになってしまったので、今月はとってもびんぼうです。
いや、毎月貧乏貧乏言ってていい加減もうええわ、と思われると思うんだけど今月こそはほんとうに困った事態だ。
まあ、来月に延ばせる支払いはなんでも強引に伸ばして乗り切るからいいんですけどもね……ライフライン最優先(まねしちゃだめよ)。
なんでアサイチでこんな話題かっつーと、今朝は本格的に金勘定していたら4時くらいからすっかり目が冴えてしまったからですよ。
でも前の晩21時とかに寝てるんで、実際8時間くらいは寝てるんですけど(笑)。
いつもどんだけ寝てんだ!!
いやあほんとシャレじゃなく、どう考えても収入<支出。
ほんと切実に早く印税を……印税を……いただける生活に……なりたい……
そしたら遅延してる税金から真っ先に払うよ、ほんとだよ……
どうせ贅沢できるほどには売れないだろうから、とりあえず、生活が困窮しない程度に儲かればいいんです、ほんとに……
そ、それまではなんとか生き延びるぜええええええ!!
お金と言うと、実は今まで(今回結婚するまで)あんまり真剣に勘定して生きてこなかった。
なので今はそのツケがどどーっと来てるんだと思うので、これはこれからの人生に必要な、良い経験に違いない(←なんとなく保証はないけど将来的には楽になってる気でいる)。
そう思ってやりくりしております。やりくりできてないけどな。
何しろ私は自慢じゃないが貯金をしたことがない。
結婚するまで実家暮らしでちゃんと働いていたのに、一円も貯金のできない人間だったのです。
場末のキャバクラとは言え、ナンバースリーくらいでそれなりの給料は貰っていたのに。貯金どころか若干借金まであった。
ちなみに私はブランドものの服やらバッグやら車やらにはまっったく興味がありません。おかげ様でお金に変えられる資産はなーんにも残ってない。
じゃあナニに使ったって、それは、毎晩の酒代と聖飢魔IIのミサツアー(ライブ)……。
いやあ、楽しかったなああああ。
ちょうど聖飢魔IIがね、解散のちょっと前でね、全都道府県ツアーとかやってて一緒に北海道から沖縄まで飛び回ってねえ…………
仕事場からちょっこーで飛行機乗って、今日は大阪明日は広島みたいな生活をして……あれは楽しかった、ほんとに楽しかった……うっとり……
いやいやいや
まあそんな生活をしていたお陰でお金が全くのこっておりませんでして
で、実は、そのあと、一回目の結婚をしたときは夫の家が小金もちの資産家であったりして
ちょっと自営の経理なんかの仕事をさせてもらっていたお陰で、これまた、大して仕事もせずにふつうのサラリーマンくらいの月給は貰っていたのですが
しかしこれもまったく貯金ができなかった……
この時期は自分で言うのもあれだけどちょっと病的で、時間も金もあるのに何もできない、ただ無為の生活を送っておりまして
とにかく、とにかく何も出来ない。じゃあこのお金はどこに消えたのだ、というと、やはりひたすらに酒代と本代に消えていたのだった。
あ、あとこの時は着物を買ったな。とは言え資産になるような高価なものではなく、毎日着られるような、可愛くて安い着物をたくさん買ったの。そしてやたらと着ていたから、これだけは今でもちゃんと残っていて、ある意味私の財産になっていると思う。
ちょっと長くなりましたが、というわけで、私はこの歳までまともに家賃光熱費の計算、食費の計算、日々の金勘定をしっかりしてこなかったわけです。
そしてざっと半生涯の収入○千万余りをただひたすらに浪費したわけだ、主に酒と飯に……。
だからーいまー、こんなに苦労しているんだだなーーー。
うわあ、すごい、絵に描いたような自業自得じゃないか!!!!
今過去に戻れるならば小娘の自分の首根っこを引っつかんで、毎月一万でも二万でもいいから貯金せんかいっ!お前のせいでおばちゃんこんな苦労してんやぞっ!と言ってあげたい気もしますが、しょうがない、宵越しの金は持たない主義なんだわ。たぶん頭がちょっと弱いのだ。叱っても覚えなかろう。
なにより、鞄一つで飛び回ったライブ旅行は楽しかったし、お酒も美味しかったし、だからいいのだ。と思うことにしたいと思います。
残ったものは思い出と着物と脂肪だけよ……はっはっは。
まあそんなふうに自分を正当化しながら現在貧しさに耐えているわたくしですが、あれだよ、これからは貯金するよ。今はちょーとムリだけど、ほんとうに「小説家」を名乗れるようになったら。ちゃんと税金も年金も払うよ。
簡単な話だ、収入が支出を上回ればいいんだろっ!?
いやーんお金使っても使っても余っちゃーうってくらい儲ければいいんだろっ!!!
やったろうやんけーオラーーーー!!!!!
というわけで全く反省しないまま、今日ももやしを食うわたくしでありました。
うん、ゆ、夢は大きく持ってもいいよね……。
↓本館
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私の小説のテーマのひとつは、「父性」だとおもう。
私は若い頃から結構ファザコン気味というか、年上で、自分の知らない知識の豊富な男の人が好きだった。
これはなんでかというともう絵に描いたように分かりやすく、私が、実の父を知らないからだと思うのですよね。
うちの母は私が5歳くらいの時に再婚して、まあ新しい父は幸い酒も飲まず働き者のたいへんよい人だったので「父親」というと今の父でまったく違和感がないのですが
「実の父親」と母は私が赤ん坊の頃に離婚してしまったので、顔もしらないんだな、これが。
名前だけは、結婚したり離婚したりしたときに届けに記入するんでちょっと見たけど、よく覚えてない。
写真もない。
離婚する時の母の方針で、父には私は会わせないってことに決めたらしいんだな。
で、とうとう一度も会わぬまま、彼は私が高校生くらいのときに亡くなってしまったらしい。
ちょっとだけ、遺産相続の手続きやらなんやらがあったのだ。
これに関して私は特に、悲しいとか、そういう感情は湧かないのだけど(だって結局知らない人だからね)、まあ、
最後まで私は父を知ることがなかったとだと思うと少し寂しい。
ある程度自我が固まってからできた育ての父には、まったく遠慮なく接することができたかと言うと正直ちょっと自信がないし、それはもちろん父のほうも同様で、特に私は根暗で理屈っぽいオタクっ子だったので、ちょっと扱いづらい部分があったと思う。
(重ねて言うけれども、育ての父は基本的に子供好きで面倒見のよい、そして時に厳しいちゃんとした人で、べつに悪いところはないのよ)
そんなわけで、どうも、私の中には「父性」に対する憧憬のようなものがあるんである。
世の中の多くの「女の子」が父親にどれだけ無条件で愛されているかを知るにつけ、やっぱりちょっと、羨ましいな、と思う部分があることは否めない(母と育ての父は連れ子同士の再婚で、実子である姉に対する父を見てもどうしても自覚せざるを得ない部分でもある。もちろん、母と私の関係を、姉もそのように見ていたと思うので不公平だとも思わないけれど。ちなみに私は姉が家族で一番好きだ)。
もちろん、いろいろな事情でそうでない人も沢山いると思うので絶対にそうあるべきだと言いたいわけではないし、自分が特に不遇だとかそういうことではないんだけども。
この自分の中の「父性の不在」を、わたしはどうやら、男で埋めようというきらいがある。
20歳くらいの頃は、一回り以上年上の男性と付き合ってばかりいた。
尊敬できる年上の男性に、かわいいねかわいいねと愛でられて甘やかされることを求めていた。
これはあんまりよくないことなんだけどねー(しかもそんで、セックスにすぐ嫌悪感が出るの。これってほんと顕著に投影だと思う)。
気がついたら、どうも、そんなかんじになってしまったんだな。
そして、その自覚があるからこそ、今は恋人(夫)に無条件で絶対の愛情を求めることはいけないことなのだ、と思っていたりもする。
父親の代わりをさせてはいけないものね。
男は私を、決して無償には愛さない。
そうして今、私は結局、男で埋められない欲求を作品へぶつけようとしている……の、かもしれない。どうやらそんなようだと、思う。
私の小説に出てくる女たちは、みんな、父性に飢えている。
正直言うと自分の中の父性への渇望を自覚する時、いまだにどうしても涙が出てしまう。
もう三十路も過ぎたこの年齢になってまだ、である。
自分が急激に小さな子供のように感じられて、まるで与えられない欲求に拗ねているような自虐的で恥ずかしいきもちになる。
この期に及んで、守られる存在でありたいなどと甘えたことを考えているのかもしれない。
子供でもできたら変わるのかしら、と思ったりもするけれど、もちろん子供はそんなことのために産むものではないし、そんなことを押し付けてもいかんのだ。
自分自身の中に父性(それはゆきすぎた母性みたいなものなんだけど)を飼い込もうと私は必死になっていて、強迫的に自立したいという強い欲求はここから来るのかもしれない。
うん、オチがなくてすみません(笑)。
これでも、結構な女性が自分でも気付いていないうちに抱え込んでいるんじゃないかなあと思うんだよね。
もちろん、実の父親がいても、父性に飢えている子はたくさんいる。
私は父性から解放され、自分の足で立ちたい。その手段を探し続けているのです。
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| もばいる | 17:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑
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